なぜ田舎暮らしか?
02/10/01
田舎での生活を意識し始めたのは5年前です。
大阪で一人暮らししてた頃、湯沸し器が壊れました。24歳の冬の時です。
僕は水のシャワーで髪、体を洗いました。シャレになってなかったです。
この時お湯のありがたさを感じ、同時にボタン一つでお湯が大量に溢れ出てくるこの状況に危うさを感じました。
便利過ぎるのです。
水道にしても同じ。都会では水道が止まると何を飲むのでしょう?(淀川??コンビニの水は例外)
電気にしてもしかり。
僕は何かしっくりしない気分でした。
僕は鶏肉が好きです。
例えば、それを聞いた人が僕に生きた鶏をくれましたとします。
ところが僕は鶏を殺して精肉できません、スーパーで並んだ鶏肉しか食べれないのです。
生きるという事は別の生き物の生命を奪うことなのですね(当たり前のこと)。
その一番重要なプロセスが今の生活には欠落しています。
僕は生きるために必要なことの殆どをお金によって手に入れてきました。
お金がないと生きてゆけない。そう信じてきました。
一生懸命働いて貯金してそのお金で何不自由ない安心を手に入れる。
本当に安心かしら?
愛情を注いで育てた鶏を自分の手で殺して感謝して残らず食べる。
自分で種をまき、草を引き、水をやり、天候に一喜一憂して育てた野菜を食べる。
自分の手で植えた稲を育て刈り取り精米した米を食べる。
味噌を作る。家を直す・・・・・・・・。
「百姓」というのは生きるのに必要な百の仕事をこなす人のことです。
僕は百姓になりたいです。本当の生きる力を身につけたいです。
不便だけれど何か安心。
実はそんな当たり前のことを自分の手で面倒だけれどもやってみるとこれがなかなか楽しいのです。
何でもないことが幸せに感じれる。
実際、近所で家庭菜園を始めると雨降りはホッとしますし、良く晴れると野菜の成長が著しいのでうれしくなります。
僕らは不便だけど楽しい田舎生活を目指します。
もちろんお金も必要です、電気も必要です。それを必要最小限で済ませたらいいのです。
お金のための労働は少なくなる分、生活のための労働や、創作活動に向けるのです。
できたらいいねーーーー