迷信とはなんぞや?
03/09/18
「迷信」とは?
解体工事が進む中で昔のトイレの跡をどうするか、での中のエピソード。
昔のトイレは上の写真のように穴を掘って上に板を渡していただけのものです。
僕はこの穴の中にお風呂場を解体した時に出たコンクリートの破片を入れて埋めたんです。
これを見た集落の人が
「・・・・・これはいかん。」
聞くところによるとトイレの跡や、古井戸などを埋める時はちゃんとした土で埋めて最後に「息抜き」用の竹筒を挿しておくそうな・・・。
「こんなもの入れてるのは良くないよ。やり直したほうが良いよ」
なんてことを言われました。
空家になって何年も経つトイレ跡の実態は自然の摂理に従い全て土になっていて「息抜き」の必要はないと思ってました。
「地鎮祭と同じで何か(事故)あってからでは遅いよ」
要するに「息抜き」とはガス抜きと言う実用から一人歩きして「おまじない」に変化していると言うことなのです。
おっしゃることは、よーーくわかるんですよ、とても。
家相でも先人の知恵が生かされたものであることも知ってるんすよ。
地鎮祭も昔からの良き、まつりごとであるとも思いますよ。
でもね、事故や怪我は現場の気の緩みや疲れによることが原因なんすよ。
わざわざ高いお金払って祈ってもらったり
適当に図面を見てこの方角が鬼門だなんておっしゃる。(家の中心の取り方で鬼門の方角なんてコロコロ変わるのさ)
挙句の果てには「家を建てるのは3年待ちなさい」(昔の実務であった話)なんて言い出すんですよ。
訳分からんです。
そういう昔の知恵とはずれたところにあるアドバイスを真に受けて
「無事故で明るい現場」になるとはとうてい思えねぇんですよ。
「迷信」とは「信じるかどうか迷う」ってことでございます。
逆に、そういう「迷い」が手元を狂わしちゃうんすよ。
集落の人は「まあ、気にしないで!」って
気にするっちゅーーーねん!!
ちゃんちゃん