やっとこさ
08/05/10
41週間の長い道のりでした。
5月10日午前1時40分、3462gの元気な男の子(ガッツ石松似)が生まれました!!!
助産院の先生にはとにかく毎日歩いて体を鍛えなさい!!
と言われ、畑仕事、2時間近くの散歩を頑張って続けたえりこ。
○5月7日
陣痛開始。
心配なので八日市の助産院へ行く。
「まだまだ序の口よ。」と言われ引き返すことに。
帰りに近くの太郎坊宮の長い参道の階段を上りました。
ここは、助産へ検診へ行くと必ず上らされる所です。
約740段の階段 頂上でスクワット
○5月8日
太郎坊宮の歩きが効いたのか、その夜から断続的(ほぼ10分おき)に陣痛が始まりました。
その夜、えりこはほとんど眠らず陣痛に耐えていたそうな。
○5月9日
朝6時に家を出て助産院へ。
前日と違うえりこの悲痛の面持ちで、内診検査。
「子宮口が3cmしか開いてないねえ。太郎坊宮いっといで。」
少し歩いてはうずくまり、少し上ってはうずくまり。
そして、この日から助産院に入院。
陣痛が来ると腰の下を指圧すると楽になるそうなので僕がその役。
その夜は5分おきに来る陣痛で二人とも一睡もせず夜が明ける。
えりこはさすがに心身共にきつい状態でした。
そんな時、先生が赤ちゃんの力強い心臓の音を聞かせてくれました。
こんな小さな命が生きようと必死に頑張ってるのかと涙が出てきました。
えりこの痛みに比べたら僕なんか、、、頑張らねば。
○5月10日
昨夜の頑張りのおかげで子宮口が全開に近い状態でした。
陣痛は5分おき。
昼間は先生とえりこが散歩に行ってる間に僕は仮眠を・・・。
えりこは陣痛の合間に眠る。
夕食前に今までにない激しい陣痛が来ました。
とりあえず夕食(えりこの食欲はすごくあった)。
○19時30分
夕食後に助産婦さん3名体制でいよいよ出産にむけてスタート。
さらに陣痛を促進するためにスクワットと階段上がり降り。
一緒に助産師の先生もスクワット。
本当に病院ぽくない、誰かの家(助産師の先生の家)で出産しているようなそんな感じです。
最新技術も医療器械もない薄暗い畳の部屋で、昔ながらのお産が始まりました。
陣痛 合間にスクワット そして、階段上り下り ○22時
ようやく子宮口の出口にウズラの卵ほどの頭のてっぺんが見えてきました。
「髪の毛が見えるよぉ」と先生。
ちなみに男の僕には一切、女性の大事な部分は見せてもらえませんでした。
こういう心遣いが妊婦さんがリラックスして出産できる環境作りのひとつなんでしょうね。
陣痛の合間に眠る そして再び陣痛 ○24時
ウズラの卵はようやくアヒルの卵ほどに。
5分おきの陣痛のたびに少しずつ産道を押し広げて赤ちゃんが出てくるのです。
本当に気の長い話です。
僕はえりこの耳のそばで一緒に呼吸のリズムのかけ声をかけるだけでした。
○25時
頭が出てきました。
しかしここから頭が出たり入ったりの状態。
呼吸をうまく整えて頑張っていましたがなかなかです。
それでも助産師の先生たちは陣痛の合間には世間話をしたり。
出産の間はとても、リラックスした雰囲気作りに気を使っていたようでした(さすが)
えりこの悲鳴と先生たちの励ましの声の中
開始から6時間、25時40分ついに出産。
母乳飲みまくり さっそく脱糞 父と子 出産までの長い道のりで感動よりも疲れが大きかったのですが
先生に導かれて、えりこ自ら取り上げたその赤ちゃんを見ました。
羊水で濡れて湯上りのような生々しい赤ちゃんを見ました。
小さなひとつの命の、か細いながらも力強い声を聞きました。
えりこの乳房に食らいついて必死に母乳を飲み始めたのを見ました。
僕は涙が止まりませんでした。
命名 福井大吉(だいきち)
いやあ、まいった。
幸せ。
えりこ、大吉、ありがとう。
追伸:胎盤は持って帰りました。
土に産めてさくらんぼの苗木を植えます。